自分の弱さを見せるのも教育の一つだと思う。
誰も完璧な人間ではなくて、何かのテストを受けるのはそれなりの恐怖があって。
それは教育を仕事としている人ならなおさらである。
5年前、私は自分の英語力のなさに直面した。
美容専門学校に勤めていて、そこの下のサロンに海外の方が来られて、施術の説明を行わなければいけなかったときだった。英語が堪能な上司がその日はあいにく咳を外していて、まだ、英語ができると思われていた私が説明しに向かうことになった。
授業終わりで全く心の準備もできておらず、最低限必要な単語だけ、電子辞書で調べてその場に向かった。
できるだけスムーズに、説明をしようと一生懸命だった。説明が終わりかけた頃、上司が戻ってきた。
その時の会話を目の当たりにして、私は自分に足りない部分・未熟な部分を思い知らされた。
自分に足りないのは英語力ではなかった。
コミュニケーションスキルと自信が欠乏していたのだ。
初めて出会った方に対しての気遣い、そして信用を築くための何もかもを私はできていなかった。
その時の上司の姿を見て、私は大学まで出て、英語コミュニケーションの果たして何を学んできたのだろうと、自分の不甲斐なさと向き合うことになった。
情けない自分に上司は優しいアドバイスしてくれた。
やっさんやったら、今までも何度も壁にぶち当たってきてるやろう。でもそれ乗り越えてきてるから今も教育の仕事してるんやろ。だって、なんでも後先考えずにすぐに行動するやん。それでええねん。なんぼでも失敗したらええ。その気持ちを今はなかなか受け入れられへんやろう。でも、数年後に笑い話に変えられるくらい成長するしかないやん。それが教育やろ。共育・共に育つっていつもやっさんが言ってるやん。俺なんて20年も海外勤務やったんやから、逆にこれくらいできて当然や。とにかく日々成長や。頑張り!
その日、家に帰ってすぐに、オンライン英会話を始めることにし、今はしっかり会話ができるまでになった。
その時の私に足りていなかったのは、完璧な英語を求めすぎていたこと。相手に寄りかかる気持ちもなければ寄り添う気持ちもなかったということ。
それは今思えば、経験不足からきているものだったと分かる。
悔しさ・つらさ、いろいろな経験をしたらいい。
この一年、これだけは頑張ったというものさえあれば、だれにどう評価されようとも、だれに何を言われようとも、自分のやってきたことを肯定できる。
自分の生徒には、その自信・事実を積み重ねていってほしいと思う。